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兜の三日月武将は誰?意味や旗印の太陽も解説!伊達政宗デザインが人気の秘密。

目安時間約 6分
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初節句を迎えるお子様をお持ちのお父さん・お母さん。
またはおじいちゃん、おばあちゃん。

 

初節句おめでとうございます!

 

兜人形を購入するにあたり、デパートや通信販売で検索すると、三日月の兜のデザインが多くありませんか?

そう、このデザイン、数ある兜のデザインの中でも1位・2位を争うほど人気のあるデザインなのです。

豪華絢爛な兜とはひと味違い、クールさもあり、非常に素敵ですよね。

人気があるのは分ったし、とてもすてきなデザインではあるけれど

「この兜ってどの戦国武将の物なの?」

「どんな意味が込められているの?」

と疑問をお持ちのあなたに、今回はその疑問が解消されるように説明していきたいと思います。
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兜の三日月の武将は伊達政宗!伊達政宗ってどんな人?

 

伊達政宗って誰?と言う方に、

「大河ドラマやゲームで右目に眼帯をつけた武将を見たことがありませんか?」と尋ねると分る方が多いです。

伊達政宗は、天下統一を目指し、東北を支配していた戦国大名です。1567年に、出羽国米沢(現在の山形県米沢市)で生まれました。1577年にわずか10歳で元服し、幼名の「梵天丸」から「政宗」へと改名します。

 

政宗の幼少時代は決して順風満帆なものではなく、4歳のときに天然痘(てんねんとう)という感染病にかかってしまいで右目を失明してしまい、それからふさぎがちな少年時代を過ごすこととなります。

 

伊達政宗の師となった虎哉宗乙(こさいそういつ)禅師が、「中国には、片目でも強く賢い武人がいるのだ。貴方もそんな事でくじけてはならない。」と諭したそうです。
「そんなことで」ってあなた・・!目だよ!?という気持ちになりますが、政宗は真摯にこの言葉を受け止め、1584年に伊達家17代目当主に就任すると、一転して積極的な性格の青年に変貌します。

 

自身の身体のコンプレックスに負けない精神力と、統率力を持った血気盛んで領土欲の強い武将と言えるでしょう。

 

その後、豊臣秀吉が天下統一に向けて王手をかけると、政宗は秀吉の配下に下ります。秀吉の臣下としては朝鮮出兵(文禄の役)に従軍しました 。

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秀吉の死後、関ヶ原の戦いでは徳川家康の味方をし、西軍方の上杉家家老・直江兼続を牽制します。政宗は1601年に仙台城を築城し、初代仙台藩主として君臨します。

 

天下統一を目指し、現在の福島県の海岸地域を除くほぼ全域・山形県南部地域・宮城県南部地域を支配していた戦国大名であるとされており、藩主となった後は、諸外国との交流や領地の開発・発展に力を入れ、1636年に70歳で死去しました。

兜の三日月の意味は?妙見菩薩との深い関わり

一番の有力な説として、妙見菩薩(みょうけんぼさつ)が挙げられます。

 

妙見菩薩とは、中国の道教において、北極星を神格化した天帝や、北の星宿(星座)を神格化した玄天上帝(げんてんじょうてい)が仏教に取り込まれて生まれた仏様です。

 

北極星はまわりの星が動いても不動であるため、北の方向の目印なので、中心に位置物事の根本を象徴することから、真理を見通す力があるとされました。
道教や仏教などさまざまな宗教のイメージが混ざって生まれた妙見菩薩は、決まった姿がないのですが、一般的には鎧と剣をもった武将として描かれます。そのため、武家が守護神として信仰することも多かったとされています。

兜の三日月、旗印の太陽との深い関係

伊達政宗が生まれたとき、父の輝宗は政宗の旗印を白地に赤丸としました。
 
「白地赤日の丸旗」と呼ばれる旗印は、そのイメージ通り太陽をモチーフにしており、現在の日本国旗とよく似ています。その旗印に合わせて、兜の前立てを月としました。

太陽は仏教における金剛界(こんごうかい)、月は胎蔵界(たいぞうかい)を表すといいます。
金剛界は、大日如来の、すべての煩悩(ぼんのう)を打ち破る強固な力を持つ智徳の面。胎蔵界は大日如来の理性の面をいいます。

そして、金剛界・胎蔵界とは仏教の曼荼羅(まんだら)の種類を示す言葉です。曼荼羅はこの世の理を表しているとされましたから、旗印と前立てはどちらも仏の加護を意味します。

おそらく、我が子の成功と守護を願って考えた旗印と前立てだったのでしょう

失明により、母に忌み嫌われたとされる伊達政宗ですが、父の輝宗は、生まれたときから彼が将来天下を取りに行くのであろうと、秘めたる才能に気づいていたのかもしれません。
月を象徴するなら満月でも構わないはずですが、形として日輪と区別がつかなくなるために、三日月が用いられたようです。これから天下統一をして、満ちていく月と考えれば、ロマンもありますね。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?伊達政宗の三日月の兜は、ただデザインが格好良いからではなく

 

・幼い頃右目を失明しても、強靱な精神力でそのコンプレックスをはね除け、明晰な頭脳で天下を取りに行ったという男気

・月の前たての意味が、「真理を見通す力」という、生きる上で非常に大切な力であること

・父である輝宗が月の前たてと太陽の旗印のモチーフに込めた深い深い愛

 というような意味が込められた兜であることが分りました。これらの深い意味を込めて、初節句のお子様にプレゼント出来たらすてきですね。
兜選びにお役に立てれば幸いです。

 

最後までご覧頂き、ありがとうございました。
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